『新たにゼロの声を探すには?』4.声のエネルギーを感じてみよう!

さっきのXYZ(喜怒哀楽)の声の座標軸に、いまはあらたにもうひとつの要素が加わってきます。
それがニューバージョンです。
それは高さ、エネルギーっていうのが入ってきます。
これはどういうことかというと、たとえば、ニュートラルな声。
静かな声といってもいろいろあります。覇気のない、元気のない、エネルギーレベルのすごく低い声もあれば、すべて受け入れます、宇宙と繋がってます、というような、どっしり落ち着いたニュートラルな声もある。感情がなくなったらいつでも自分の声は同じかといったらそれもまた違います。

自分の若いとき、年とったとき、さんだん老成していくとき、いろいろありますけれども、経験を経ることによって声は変わってきます。それは年とって声帯が痩せるから声が変わるとかそんなことじゃありません。そんな簡単な話はいましてません。
またそんなことを言ったら、女性は50歳になって更年期を迎えるようになると、女性ホルモンが出にくくなるから声帯が痩せてくるんです。多少ね。そうすると声の力が弱くなるので、いわゆる朗々と歌う、という感じではなくなる。では女性歌手の寿命は50までです、50過ぎたら歌うたらアカン! と、そんなことはありません!

50過ぎたって、渋くかっこよく歌うJAZZヴォーカリストはいっぱい! いはるわけですよ。じゃ、それはどうしてかっていうと要するに、年をとると声帯は痩せる、つややかな瑞々しい声はすこし減ってくるかもしれない。けれども人生でたくさんの経験をしてきたことで、深く胸に刻まれる、脳裏に刻まれるような声に(たとえそれが感情のない声だとしても)開発されてきたということだと思います。

ではどんなふうにしてそういう声は開発されるんでしょうか?それは、余分な力が入らなくなる、っていうことです。

ではまず、意識的に声に感情を落としこんでみましょう。
ね、やってみるとわかるけど、喜怒哀楽を表現しようとすると、喉にいろんな力が入るわけじゃないですか。
では「感情を全部はずしてみましょう!」といっても、他人様の前で声を出すのに『感情ゼロ』って、すごく難しいことです。
何かが入ってくるんですよ。
ではぶっちゃけ、いまわたしがどういう気持ちでみなさんにお話ししているかというと、わたしどっか足りへんのかもしれないんですけれど、みなさんに話しするの大っ好きなんですね。
なんかいつもワクワクしながら話しちゃうんですよ。実は。
だからそれを隠そうにも隠せない、っていうのがあって楽しく話はしてるんですけれども、でもワクワクするぶん緊張ってのもでてくるんですよ。そしたらその緊張っていうのは喉にキュッと力が入るんです。
で、それを東洋医学、五行陰陽学に基づいたやりかたではずそうと思ったら『14筋体操』というのがありますので、今日家に帰ったらYouTubeで検索してみてください。

人間の身体には大きな経絡が14本あります。
その経絡をその14筋体操に基づいて整えると、ぱーんと喉がひらいて声が出やすくなるんです。
これはそんなに難しいことじゃないので、実際にやってみていただくと、声が楽に出るのを感じてもらえます。
で、それをやりながらこのゼロの声もますます探していっていただけたらいいんですが、そこで自分のわかる限りで、自然に喜び、楽しみ、悲しみ、怒り、したときの自分の声をちゃんとチェックする、そして自分のゼロの声はここだな、と気づく。
さらにもっと感じられるとしたら、自分のいろんな声を録音したサンプルをいくつか作っておいて、それを聞きながら「今日の声好き」「今日の声嫌い」なんでやろう? と感じてみる。
自分では一生懸命ふつう(ニュートラル)でいようと思ってもやっぱり昨日あった嫌なことや仕事のストレスなどいろいろあったら、いくら頭でコントロールしようとしても身体に感情がくっついてくるんです。

ではいま感情の話をしていますから、心の話をしましょう。
みなさん、心というのはどこにあると思いますか?
胸。たしかにここには心おっきいねえ。
よくみなさんおっしゃるのは、胸。次に脳ですね。
ところがですね、実は心というのは身体全身にあります。
約60兆個あるといわれる細胞ひとつひとつの中に心があります。脳はそのターミナルです。
たとえば手を落とした、足を落とした、手や足には心なかったんかといったら、そんなことないねん!
手や足の細胞にも心はあるんですよ。
っていうのは面白いことに、ふつうの細胞を生かすのは難しいんですけれども、がん細胞なんかは意外と長いこと生きるんです。
(中略)
それで、いろんな実験していくと、どうやら植物にも感情らしきものはあるようだ、ってことがわかったんですね。
もちろん、それだけでは全ての植物がそうだとはいいきれないわけですが、ひとつのお話としてはやっぱり生きとし生けるものっていうものにはぜんぶ感情あるんちゃうか、ってことですね。
声出せるから、瞬きできるから、なんかパフォーマンスできるから、人間は悲しいやらツライやら言えてるけど、実はそういったことができないわたしたちの手や、足などの細胞にも心はあるんではなかろうか、というのが、ひとつの学説としてあるというお話です。