「歌の世界をもっと豊かに拡げる方法」3.イメージするだけで声は変わる

・・・と、こんな感じになるんですよね。
途中ちょっとミスってます。どうもすみません。
でもこれがベースを流れる音だ、ってことなんですね。

ところが、これはたまたま森山良子さんがこういう和音をくっつけてくれた
だけで、メロディーラインは一緒で別の和音の付け方というのもあるんです。
それはもういろんな解釈があります。

で、たまたまわたしたちはいまこの森山良子さんの『この広い野原いっぱい』
にくっついいてた和音を使わせていただいたんですけれども、それはもう
ほんとにメロディーラインだけを残して、自分がまた別の解釈で別の和音を
そこにもっていく、というのも実はありなんです。
いま、この森山良子さんが作ってくれたハーモニーラインをわたしたちは学ぶ
ことができました。

じゃあ、一番最初の何も知らないとき、「このひろーい野原いっぱい、咲くー
花あをー」っていうときにですね、ベースにはこの音も流れてるんだな、とい
うことを思って歌ってみましょうということなんですね。

そしたらどうなるの、というと、最初は何もなしに素にこのメロディーライン
だけ、「このひろーい野原いっぱい、咲くー花あーをー」ってだけやってたのが、
ベースに♪♪♪♪みたいな音が流れているっていうことが理解できましたと、
いま自分の耳にはそれは鳴ってはないけど、自分の心の中で、頭の中でこのハー
モニーラインが流れているぞと思いながら歌うと、最初は「このひろーい」って
やってたのが、「このひろーい野原いっぱい、咲く花あをー、ひーとーつーのこ
ーらずー、あなたーにぃーあーげるー」って、ああ、そうやねんなぁ・・・って
なんか広がりっていうのが自分の中でイメージがしやすくなるんですね。

そうすると、人間の喉って不思議なんですよ。
そこでイメージしたのとしてないので変わってくる、っていうんです。
イメージしてなかったら、ただ一生懸命、譜面通りに歌ってるだけなのが、ベー
スにもこんな音があるなとイメージすると、そこで(歌の世界観に)広がりがで
てくる。
これが自分ひとりでやるんじゃなくて、ほかにも人がいて伴奏してくれるとかバ
ンドがあるとか、みんなでやるときの良さなんですね。

よくバンドでの練習をするとか、伴奏者が付いてくれたときに、伴奏の音をよく
聴けよとよく言われたりすると思うんですよ。バンマスとか、コーラスやってら
っしゃるんだと指揮者の方とかに。
みんなの音、まわりの音をよく聞けよ、というのはこれどういうことかといいま
すとね、もちろん他の人の声と自分の声がうまく調和して響くという良さもある
んですけれども、でもそれだけじゃなくって、この曲の後ろに何が隠れてるのか
なって、、、

こうやって歌詞なしで音だけで聴いてみると、さっきからずっと歌詞つけて歌って
きたからいまはこれ聴いただけでも広い野原が頭に浮かんできちゃうけど、でも
はじめて音だけで聴いたら、タタタターンタって、これだけでしょ?
そのさっぱりわけがわかんないなかで、でも「このひろーい野原いっぱい」だから
こういう伴奏がつくねんな、じゃあもっと、このひろーい野原ってのはほんとに
広いのか、それともちょっと広いのかっていうのが(その人それぞれの歌う歌から)
伝わってくるわけなんですよ。

歌って、とめどもなく広ければいいのかといったら、そうじゃなくて、たとえば
それこそ昔々の日本の伝統芸能ですね。えー、地歌とか端唄なんてあるんですけど、
そのお座敷芸っていうくらいでもう四畳半くらいの狭いところで、お酒飲みながら
何かつまんで誰かが三味線で歌ってるときなんか、もうばーんと広うないのよ。
べつにもう大漁旗上げながらカツオやマグロを獲りに行かんでもいいわけさ。
四畳半で好きな人とそばにいて射しつ刺されつでやってんのにね、いやあーっ
気持ちエエなあーー! お前の姿は三里先! なんていうたらそんなの見えへん
がな。ね。そやからとにかくちょっと好きな人とひっついといてほしいわけ。
そしたらもう狭いほうがええねん。その狭いなかでチトンシャントチンテン♪って
やっとくのが色っぽいわけや。ね。そういう文化もあるわけ。
けれどもこの森山良子さんは、この時代のフォークソングのはしりやったんですけ
ど、フォークギターを弾きながら「このひろーい野原いっぱい」ってやってるわけ
です。

だからそれを理解するには、ほかの音も聴きましょうということです。
他の人の伴奏の音も、楽器のコードの音も、ハーモニーの音を聞きましょうってこ
とです。

じゃあ、自分がはじめて作曲をする、いまから曲をつくろうっていったときに、
まだコードも何もあらへん、どうしたらいいの?って。
そしたら、たとえばこんなメロディーがあったとします。
ドレミファソファミレミ・ミ・ドってね。
でもなんかこれじゃあ子供の歌みたいだけど、これがちょっと音がズレてったら、
こんなふうに、、、。おんなじメロディーですけど長さ変えるだけですぐ変わっ
ちゃう。
もちろん、これだけ変わるだけでもそこについてくるコードもぜんぶ変わっちゃう。
っていうふうにして、ほんとにちょっとした差だけでも歌の世界、音楽の世界は
変わっていくわけなんですよ。

だから逆にいうと、まだ何もできてない1番最初に森山良子さんにこのメロディー
ラインがきて、この広い野原いっぱいでこの曲やったらどうなるのかなあっていっ
たときにいろんな音がついてきたんやけれども、ここでもし、みなさんが、じゃあ
ぼくなりにこれ解釈して歌うとき、どこの広い野原で歌うたらいいのか。どこか
わからん、どこかひろーいところをイメージしてやろうかなといったときに絶対
ちがう音が混ざってくるんやけど、それはそれでいいんですよ。
自分がそれをイメージして歌ってくれたらいい、奏でてくれたらいい。

だから、そこで自分はまず、せっかくみんなで歌う、演奏するっていったときは
他で出してくれてる音をしっかり聞いていただきたいんやけれども、まだ誰も演
奏してなくても自分がこの歌詞を見て頭でイメージができるんであれば、きっと
こういう音もあるんじゃないかな、というのをどんどん思ってほしいんです。
で、不思議なことに、思うだけで声って変わるんです。

なのでもういっぺん、すみません、わたし途中で間違えるかもしれないけれど、
その「思う」ということだけについてやらしてもらいますね。

まず、このひろーい野原いっぱい、咲く花あをー、ひーとーつーのこーらずー
あなたーにぃーあーげるー 
・・・・・・と、これ、わたし、あんまり考えていません。

ところが、まあ、じゃあ、そうですねえ、
この広い野原、どれくらいの野原でいこうかねえ、菊池さん、どれくらいの野原で
いこうかねえ。地平線が見えるくらい?! そりゃあすごいですねえ。地平線が見
える野原。サウンド・オブ・サイレンスもまっつわおやねえ。
それやったら、、、、

 このひぃろぉーいー のぉはぁらーいっぱい
 咲くぅー 花ぁあをー 
 ひぃーとぉーつぅー のぉーこぉーさぁずぅー
 あなたぁーにぃー あーげるぅー
 
とまあ、こんなふうになるわけです。
ちょっとイメージするだけで。

なんかいまのはお題ちょーだいじゃないけど、あの地平線が見えるゆうたら、高い
んじゃなくて上から見下ろさなあかんからさ、こう見下ろしてちょっと盆地気味に
なってて向こうまでみえんところまでぜっんぶ野原や、ぜっんぶ花や。
それぜっんぶ1人の人にあげたらたぶん花に溺れるよね。
花酔いすると思います。
だけれども、そのくらいのイメージでやると、ちょっと声って変わるんですよ。

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