「今一度、腹から出す声のコントロール!」4.人は意外と自分のほんとうの声を知らない。

いまの世の中、すんごく忙しいかすんごく暇かいう人、二分化しちゃってます。
わたしなんかは日本人の平均寿命が80だとして、0と80どっちに近いかと
言ったら、間違いなく80のほうに近いです ww
半分の折り返し地点をとっくに越えちゃってるからオールド世代になると思うん
ですけど、わたしたちの世代というのはスマートフォンとかコンピュータを使っては
います、四六時中使ってはいますけど、でもそれで大半を済ます、というところまでは
まだいってません。
友達とは実際に会って顔を見て話したり、生きもの、人と触れ合うのがうれしいというか、
それが馴染み深い世代です。

でも、いまの大学生から下くらいの人たち、すなわち30から下くらいの人たちって
いうのは圧倒的にそういうデジタル・デバイスに触れてる時間が極端に長いんじゃ
ないかと思うんですね。
何かあったらとにかくスマフォ、何かあったらとにかくパソコン、まあ、ほとんどが
スマフォですましちゃう感じでしょうかね。

で、そういうような感じになると、意外と喋ってない人多いんですよ。
デジタル・デバイスを使ってやりとりをするということで、あんまり自分の声、音を
使わなくなってるんで、音と感情の関係性っていうのがあんまりわからなくなってる。
そういう世代が増えつつあります。
じゃ、わたしたちの世代だったらすごくわかるのか。
意外とこれがね、40、50たって忙しい。60だって現役で仕事やってる人は
いっぱいいますから、これまた忙しい。
忙しすぎたら、忙しいという感情に振り回さわれながらしゃべってます。
そうすると、四六時中しゃべってると「わたしはいま悲しいんです」とか、なんとは
なしに楽しいとか、腹が立ってるとか、自分のいまの感情を100%捉えて声にしてる
人って、これまたいないんですよ。

だから、むちゃくちゃ忙しい世代。
あんまり喋らない世代。
それともうちょっと上の世代になると、いまはほんとに家族が小さくなっちゃってるから、
ひとりでお住まいになってる方も非常にたくさん、いらっしゃいます。
そういう人はクリニックに来て、「先生ね、あたしね、ほんまにたまにこうやって診療所
寄せていただいて、先生と話しするぐらいしか話す人おれへんねん」みたいなこと言うねん。
そういう人もちょっとずつ増えてきてるねん。
・・・とすると結果、どういうことかと言いますと、忙しすぎてもさみしすぎても自分の
声って知らない、いう人すごく多いんです。

たとえば、録音機器っていうのがあります。
昔だったらテープレコーダー、カセット、そしてMD。
いまだったらもちろん、CDもDVもいろいろあります。
そいう録音機器に自分の声、入れたことあります?

あります。

聞いてみてどうでした?

最初は気持ち悪かったです。

変ですよねえ!
ね、それをたとえば親兄弟とか友達に聞いてもらったことあります?
これ潰れとるんとちゃうんか、オレの声! って。
そしたら、いや、おまえの声や、って。

あ、あります。

ありますよね。
録音機器に自分の声を入れてそれを再生して聞いたときに、「これ自分の声じゃない!」
と、まずふつうの人はみんな思います。
なぜか。
わたしたちが(自分の)声を聞くときには2通りの回路で音を聞いています。

さ、声をちょっと出していただきましょう。

声は声帯からでる。
ま、これはさっきも言いました。

ハイ、声でまーす。。。それで、このへんで反響して、ハイ、お口からでまーす。
そのときに、自分で自分の声を聞く方法は、ぐるっと回って耳に入ってきます。
これは当たり前でしょ。
「あーー」と、いまわたしが声を出すとき、その声はみなさんのお耳にも届いて
ますけど、わたしの耳にも届いてます。

ところが、声を出している人の頭蓋骨の中、耳の中に『蝸牛』というところがあります。
蝸牛、これ、でんでん虫とまったく同じです。カタツムリってやつですね。
漢字で書くと蝸牛になります。
ここの中に音を感じるマイクみたいなものがあります。

「あー」って言って耳から入ってきたのともうひとつの通り道。
それは声帯、喉頭の真後ろに頸椎ってあります。首の骨です。
ここに音入ってきます。
骨の中を伝わって、ダイレクトに骨の中にあるこの蝸牛に音が入ってきます。

昔、ベートーヴェンって有名な作曲家がいました。
彼は当時の流行り病、梅毒にかかっていました。
梅毒はひどくなると『内耳梅毒』って言って耳が聞こえなくなるんです。
ジャジャジャー。。。ジャン?! みたいになってたんですね。
だから彼はこの(蝸牛)あたりがなかなか聞こえにくくなってたので、
ピアノ弾くときにピアノに齧りついてやってはったんですよね。
どうしてか。
ピアノに齧りつくと骨を伝わって音がちょっと入りやすくなるんです。
もちろん、ここらへんがアウトになってきてるからそれにしたって音はずいぶん悪く
なってたんだけど、それでもちょっとでも音聞くためにがんばってやってました。
だから中耳炎もあったかもしれません。

むちゃくちゃやらんでいいですけど、ちょっと軽く自分の頭たたいてみてください。
ほら、わたしにはみなさんが頭叩いてる音ちょっとくらいはしてるかなぁ~?
くらいの感じですけれども、自分の頭たたくと、よう聞こえます。ゴンゴンって。
でも、あんまりみなさんの音は聞こえません。
どういうことか

それはコンコンやっても、その音はみなさんのお耳まで飛んでいっては聞こえない
のだけど、自分の脳の骨にはコン!って響いて、この蝸牛まで伝わっているから
その音が聞こえるわけです。

自分の声もそうなんです。
「あー」って出した、さあ、声帯の真後ろのこの骨を伝わって、この蝸牛まで音が
伝わったのと同時に口から出た音が耳のほうに回って聞こえた。
すなわち、自分でが自分の声を聴いているときはダブルの、2種類の音の通り道の
混ざった声を聴いてる。
で、自分ではこの自分の声がほんまの声だと思ってる、ところが録音機器に入れ
ちゃうと、骨の部分の音(骨導音)は入ってこない。
自分の口から出た、空気を振るわせた音しか録音機器にははいってませんから、、
それを再生して聞くと「これ自分の声やない。これ潰れてるんとちゃうのん?」
ってことになるわけです。
そんな具合に、自分の声のことをしっかり知ってる人はそんなにいないんです。

さ、それではこれから自分の声を学びましょう、っていう話です。

『声は、心の鏡です』

耳がほんとにダメになると、人間、どうなるのかっていうと、いままで聞こえて
いた人がほんとに耳が詰まって聞こえにくい感じになると、すっごくさみしく
なられます。
大体の人がさみしくなります。

目が見えにくくなった方。
耳は聞こえてるけど目が見えにくくなった方は不自由されます。
こう、歩くにしても思うように動けなくなるので、日々の生活がしんどくなる。
ところが(目が見えなくなったら)、これまでふつうに話してたときには気づかな
かった相方のやさしさとか、友達のありがたさとかが「聞こえてきた」という人が
いるんです。
と、同時にいままで『この人なんとなくやさしそう』、とか、容姿がきれいだから
好感を持っていたような人たちが、あれ? ほんとはうわべだけやったん?みたいな。
そんな感じになって、いろんな(ほんとうの)声が聞こえてくるようになった、
という人がいます。

要するに顔の美醜であるとか、その人の造作であるとか、口から出てくる言葉だけで
人間って簡単に惑わされるんです。

音という情報はいろいろな、なんていうのかな、本来の言いますか、真実と言いますか
その者が持つかなり的確なキャラクターを乗っけてくれる情報の伝達システムなんですね。

だから、たとえばいま風邪ひいてるから、鼻声だから声がよくないとか、ちょっと
喉が怪我してるから声がよくない、っていう、そういう問題じゃないんですよ。
もっと別のその人のこころの声が乗っかった声、っていうのが届くと、そうすると
人っていうのは感動するんですね。

で、そういうときに、そういうものも含めてわたしは、声は心の鏡です、というわけ
なんですけれども、じゃあね、鏡がいつも真っ赤な色で塗られていたら、いつも鏡に
がんがんヒビが入ってたら、鏡がサビてたり、緑のペンキがベチャベチャ付いてたら
ちゃんとした自分のこころは見えないじゃないですか。