「ポップスって、なぜ売れる?」3.敗戦とポップス

そういうふうにポピュラー音楽が出てきたころにまた録音技術という
ものがやってきて、それが戦争と共にどんどん流行っていった、
広がっていったわけですね。
第一次世界大戦。ですから1900年も過ぎたくらいですけれども、
そういうあたりから急にそういう(一般大衆向けの)音楽がいろいろな
ところで使われるようになって、とたんに「音楽は使える!」と思う
人たちがどんどん出てきました。

その「音楽が使える!」と思ったなかの代表的な1人が、
ヒットラーでした。
ヒットラーは音楽でナチスの党員たちの戦意を鼓舞するだけじゃなく、
一般大衆までをも熱狂的にして、自分のファンにして、ドイツの中で
ナチス党を大きくするために音楽をたくさん利用していきました。

だからもちろん、この録音技術ができたことで一般の人が音楽を楽し
めるようになったことは間違いないんですが、いっぽうで為政者、
すなわち政治家たちがこの音楽を民衆の洗脳に使いだした、っていう
のが実はこれ、音楽のかなしい歴史のひとつです。

で、さあ、ここでまたクラシックからポップスに話が戻ります。
ポップス、これ一言で言うとポピュラー音楽。
これさっき言いました、ロックもレゲエもダンスミュージックも、
いろーんなのが入ってるよ、というやつですね。

ポピュラーってどう意味かわかる?

  人気。

そう、人気があるよって、みんなが好きやよって。
1人の人が好きなだけならポピュラー音楽っていわない。
だから『ポピュラー』というのは、大勢の人が好きな音楽。
それをまあポップスっていうわけですね。

じゃあ、民謡だってたくさんの人好きやんかって。
演歌かてたくさんの人好きやんってありますけど、その時代、その
時にはそやってん。演歌もポップにやってはって。
ところがそれがやっぱり時代と共にあんまり民謡聞く人がいなくな
っちゃった、いまTVのスイッチ入れたらパっと民謡やってへんね。
演歌もすたれてはおらへんけど、そこまで聞く人はいない。
・・・ということで、やっぱりポップスがそれに代わってきたわけ
です。

ごめんなさい、あなた1990何年生まれ言いはった?
94年でしょ。
わたし1960年生まれやねん。
そうすると34年違うんですよ。
ね、そうすると、わたしたの時代っていうのは、まだ日本における
ポップスって、はっきり言うと貧弱やったんです。
だからわたしらがあなたたちくらいの年のときには洋楽聞きまくって
たの。うん。だから邦楽と洋楽、どっちがエライって問題じゃないん
だけど、やはり音楽の層の厚さとかおもしろさっていう点でいうと、
やっぱりエルビス・プレスリーが出てきーのビートルズが出てきーの
クリームが出てきーの、とか、ロックでもなんでも大勢のミュージシ
ャンがイギリスやアメリカで演る人が多かったもんで、それが日本にも
どんどん入ってきて、で日本の音楽もどんどん西洋音楽化していったん
ですね。

でもここでもう一度思い出してほしいのは、実は特にアメリカがやった
ことなんですけども、世界中をアメリカナイズしようと、世界をアメリ
カ音楽の虜にしちゃおう、そしたらさ、やっぱりみんながアメリカのこ
とを好きになって、アメリカの虜にしたらアメリカにケンカふっかけて
くること減るやん。ね。
だからやっぱりひとつの国策として、アメリカ文化を世の中に広げて
よく『グローバリゼーション』なんて言いますけど、それを広げることで
とにかくアメリカが1番! アメリカ・イズ・ファースト!いうのを
大体その、、、第二次世界大戦前くらいからやってたんです。

だからいまでもそうなんですけど、テレビ番組を作るのってすごくお金
かかるんですよ。
知ってる?

いちばん最初にテレビが日本に入ってきたのってたぶん、昭和33年
くらいなんですよね。
で、それで昭和36年くらいからアメリカの番組が日本にいっぱい入って
きたんです。
ここにも知ってはる人いると思うけど、『奥様は魔女』って、やってました
よねえ?
それとか『ドリス・デイ・ショー』とか。
『パパはなんでも知っている』とか、『ハワイアン・アイ』とかね。
あれぜんぶタダなんです。
アメリカが日本を洗脳したかったから、アメリカはぜんぶタダで
「いいよ! 君たちの国のテレビ局でこれ流してくれたらいいよ」って
タダでくれたんです。

だからまだ日本では『スッチャラカチャンチャン♪』なんですよ。
さっき言った『てなもんや三度笠』が人気の時代です。
ほかにも東京だったら『お笑い三人組』なんていうのもありましたねえ。
三遊亭金馬さんが出てはりましたわ。
そういうとにかく昔の日本を代表する喜劇のスターたちね。
そういう人たちが出てたときはそれはそれなりに一生懸命お金使ってNHK
とか朝日とか読売、毎日、いろんなところで番組作っていたんですけども
でもそんなのより圧倒的に遥かに、アメリカンドラマってよくできてたん
です。面白かったんです。
それがぜんぶタダやった。なんでか。
アメリカ文化を日本に広めて、もっと占領効果を上げたかったからです。
誰もアメリカに弓引いてほしくなかったから。

ただアメリカの進駐軍というのが日本に入ってたときに、日本で音楽が
好きな子はやっぱりたくさんいたわけなんですよ。
美空ひばり、なんてね、有名な人は知ってるでしょ?
その美空ひばり、江利チエミとかさ。
そういうような人たちが最初にどうしたのか。
戦争に負けてもう何もない、と。
マイクもスピーカーも何もない。っていったときにアメリカの基地に行
ったらなんでもあるわけですよ。
ダンスホールがあって。楽隊もあって。ピアノもベースもみんなある。
そこに行って、みんな好きな歌を歌って、それで日本人のちっちゃな子
らが、いっしょうけんめい歌を歌ってかわいいいなって言って、ハイ
ってチップやチョコレートをもらってアメリカの兵隊さんの前で歌いは
じめてたわけです。

そういうときに、日本人は一生懸命このポップスを勉強してたんですね。
まあ、まんまと洗脳されるわけです。
まんまと洗脳されないとできないから楽しいんです、これが。
で、わーっと日本にポップスというのが広がっていきました。

ということでね、この音楽を使ってやっぱりその時代の政治をやってる人
たちというのは、とにかく群衆、民衆というものを上手に操ろうとします。
そのときに、絶対に効果的な音楽でくるわけです。

この当時まだ『伊藤園』って無かったんです。
自動販売機で何か飲みもの買おうと思ったらこんな形したコカ・コーラですわ。
瓶であったんです、瓶で。
ガシャーン!って出てきてカッと栓あけてゴクゴクゴク、、、あーっ!って
飲んでたんですわ。
そういうコカコーラにはじまって最初に入ってきたものっていうのが、、、
チョコレートが入ってきたり、それからチューインガムが入ってきたり、
コカ・コーラが入ってきました、アメリカの音楽と共に。
まあ、みんな新しく見えるもんですし、実際おもしろいしカッコいいしって
ことでさ、ここで毛唐の文化にコロっとまいっちゃったんです。

当然、コカ・コーラやチョコレートを日本に送り込んでる人はここで絶対に
オートミールは持ってこないんですね。
オートミールって知ってる?
なんかドロドロのおかゆみたいなもんですわ。
そんなの絶対に1番めには押してこないの。
最初に持ってきたのはコカ・コーラです。
スカッと爽やか、いうやつでうよ。
で、その次にはエルビス・プレスリーがロックンロールを奏でながらやって
くるわけですよ。
ビートルズがやってくるわけです。
日本人はもうみんなびっくりなんですよ。
コロっとまいる。

でもコロっとまいらせるためにやっぱり使ったのが『人気のある音楽』。
ポピュラー音楽なんです。

けしてここで彼らは一番最初からドロドロのブルースは持ってきません
でした。やっぱりポップス。明るい音楽。
いままで戦争やった。アメリカも大変やったけど日本も大変やったでしょ、
って。でももうその戦争時代は終わったよ。みんなパーッと行こう!って。
儲けられる人は儲けてガーンといって、それで国に税金どーん!と納めて
で、日本国からアメリカにどーん!とお金持ってきてや国債買うてや、と
そういう流れです。