「ポップスって、なぜ売れる?」2.音が使われだした起源

あの『てなもんや三度笠』っていう、これは日本のテレビ番組の
黎明期に非常にヒットした番組としてはある意味テレビ番組の
クラシックにはなるんでしょうけれども、そのなかで、いまはもう
お亡くなりになられた藤田まことさんと白木みのるさん、この二人
がその番組の中で歌いはるんですね。スッチャラカチャンチャン♪
ってやりはるんですよ。

その音楽は『音頭』なんですね。
音頭っていうのはほとんど2ビートです。
2拍子。
4分の2、いうやつですわ。

そこでやられてた音楽というのが、いまとなってはすごくどんくさい
というか、古臭いというかね。まあ、昭和一桁から二桁、戦後間もない頃
アメリカに日本が占領されてしまって、で、ただ占領されるだけじゃない、
アメリカ文化がどーっと日本に入ってくることである部分、日本人もアメ
リカにずいぶん洗脳されてしまったわけですけれども、その時にいろいろ
入ってきたもののひとつひとつから発生していった音楽があるんですね。

じゃ、まず『音楽』っていうのが何に使われたのか。
いちばん最初はたぶん神事だったんですね。
個人で音楽を楽しむってことがあまりできない時代が人類史上すごく
長くありました。
そしてそれが戦争に利用されはじめました。
戦争をするとき、やっぱり頑張って勝たなあかんわけです。
1人ずつのケンカやったら別ですけれども、大勢の人が集まって、
よし、今年はもう食べるもんがないから、、、だって食べるもんいっぱい
あったら戦争なんかしないです。食べるもんがなかったらみんなお腹すくや
ないですか。お腹すいても自分の村に食べるものがなかったら、もうしゃあ
ないから、どっかよその村襲ってよその村の備蓄品とか農作物食うたろ、
みたいな。そういうあらくたい(荒っぽい)考えが昔々の人間にはあったわけ
ですね。で、いまだに戦争やってる人たちもいっぱいいますから、けっきょく
こう人間って、あらくたいところが多い生きものだと思うんですけれども。

で、そういう戦争のとき、敵陣に攻めに行くときに音楽がいい役割を2つ果た
してくれたんです。
ひとつはどんな感じ思います?

 マーチなんかで士気高揚。

そうですね!
ドンドンドン!ッタララッタ ドンドンドン!ッタララッタって、
まさしくマーチってやつですねえ。
マーチ。行進曲。
何か自分たちを鼓舞するときのため、元気づけるために。
戦争っていったら大体みなさん、これを思い浮かべてくれると思うんですね。

ところがこれ以上に、戦争をするとき音が役に立つ時代があったんです。
それは、『通信』なんですわ。
この時代、電話もスマホもありません。
何でもって人が人に何かを知らせるかっていったら、昔は『のろし』
いうのがあったんですね、昔。
煙で知らせる。
知ってる?
火、焚くのよ。
そしたら煙でるやんか。
その煙がぼーっと出てたらそれもひとつの合図やねんけど、煙が出てるときに
それを煙に覆いをかぶせたりはずしたりすることでポッポッポッって煙が断続
的にかたまりになって出るから、それが幾つ出たかによって攻めの合図とか
退却とか知らせてたんやね。
なぜそういう手法を使ったかというと、それは気にして、注意して見ている人に
だけわかればよかったから。でも、注意してなくても誰でも聞いたらすぐに攻め
に行ける、早く逃げられる、早くどこかに行けるってしたいときにはラッパとか
昔々は牛の角笛みたいなのとか、オーストラリアの原住民たちが使っているのは
ディジュリドゥーってやつですけれども、もうほんとに超徳大尺八みたいなやつ
です。
しってる? 見たことある? 筒みたいなやつ。あれでこうやってボーーって
吹くんだけどけっこう肺活量いるしシンドイやつですわ。
で、日本やったらみなさんご存知の山伏じゃないけどほら貝みたいなので
ホォォォ~~~とかってやってたわけです。

そういうような、鐘や太鼓じゃないんですけども、笛とかいろんなものを
最初は通信のために使ってたんです。
でもそれが、なんか知らへんけどやってるうちにおもろいな、と ww ww
これ楽器に使えるやん! ってことになって、そういう音作りのために
使われていった。

で、せっかくやから、これから攻めるときには元気づけにそれで音でも出そう
やと。連絡にもなるけど、元気づけにもなるやん、ということで、それで戦争
のときに使われだしました。

最初は神さまのために、ってはじまったものが、
ちょっと嫌なことですけどね。
戦争。誰かと戦わねばならないとき、みんなに意識をパーンと早く広める
ために、音が使われだしたんですね。

さあ、それでその次にどんなふうに音というものが使われ出したのか、
というと、一番大切なのは、録音。
エジソンがいろいろ考えたのとかもあったんですけれども、レコード技術
というのが出てきたわけですね。
そういう『録音技術』。
これが出てくることで(音楽は)飛躍的に伸びました。
では、そのあいだ(戦争時代から録音技術がでてくるまでの間)は
どうなってたの? というと、もちろん、その間にも譜面はありましたし、
楽器はできてたんですよ。
ですから、この譜面ができた、楽器ができたということはとても大きなこと
ではあったんですけれども、それが最初は神事であったり戦争であったりに
利用され、戦争をするときトップに立つ人は必ずその村の、その国のトップ
です。いわゆる豪族とか貴族とかいわれる人たちです。
だから最初は音楽っていうのは、そういう人たちだけのものやったんです。
で、そういう特殊階級、特権階級の人たちだけが音楽を楽しめる時代だった
ということ。ですから、そのあいだの音というのは、特権階級の人たちが楽
しむもの、つまり、ここでやっと文字通り『音楽』になったんですね。

この音楽を楽しむようになってきた時代になって、ピアノとかラッパとか
太鼓とか、いろんな楽器がどんどん出てきました。
で、みんなが音楽を楽しむことができていいなあと思っていたときに楽隊の
人たちはその国のお殿様、お姫様、それから高貴な人たちのためだけ、では
なく、一般民衆にも音楽はあってもいいなってことを思いはじめたんですね。
楽器はまだまだ貴重品の時代です。
いまでもいい楽器って高いですけど、その当時はもっと高いわけです。
だから誰でも彼でも持てるもんじゃなかったんだけれども、そういう楽器を
持って、じゃあ、いろんな曲を作ってみようとなり、なかにはいいものを
やった後で、「あれ? こないだオレ、あの祭りで弾いた曲あれなんやったろう? 
えーと、、、アカンわ。忘れたわ」もうこんなことやってたらアカンから、
いつでも再現できるようにしよう、ということになって、『譜面』というものが
出てきました。

で、その譜面がでてきた。さあ、音楽いうのがそこではじめて民衆に広がる
ようになった。
そして民衆に広がるようになって、そこで『音楽産業』っていうものが
ちょいと出始めるようになったわけです。

で、その音楽産業が出てきたときに、ですね、えー、これおもしろいこと
なんですけれども、最初この録音技術がなかったときには、どういうふうに
してみなさんが音楽を楽しんでたのか。
これ大体1800年代の後半のことです。
譜面は売ってたわけです。レコードはなかったけれど。
譜面をぱっと見せられて「ほら!これすごくいい音楽でしょ!買いなさいよ」
て言われても、ふつーわからへんでしょ? 譜面ぱっと見ただけじゃ。
いまの現代人、というか、この2017年のわたしたちでもですよ、よっぽど
音楽に関わってる人でもなければ譜面見て「お! カッコええやん!」って
なることは難しいと思うんです。
当時だったらもっと難しいんですよ。

そしたら、このときどういうことがあったのかというと、譜面を買う人
(お客さん)のために、この曲はこんな感じですよって、譜面を弾いて
歌ってくれる人たちの仕事が、アメリカですごく流行りだしました。
そういう人たちが集まっていた場所のことをティン・パン・アレー
(Tin Pan Alley)って言います。
そのティン・パン・アレーってところでですね、一般大衆に、みんなに
楽しんでもらうための音楽が出てきた。
これがいわゆるいちばん最初にポップス、ポップミュージック、まぁ、
いまの時代でいうと、ごめんなさい、混同しちゃうからあれなんですけど、
『ポピュラー音楽』というジャンルができてきたはしりです。
だいたい1800年代後半、1900年代のちょっと前くらいです。

そこでそういうふうにいろいろなポピュラー音楽というのが出てきて、
そのあたりに、さっき話した『録音技術』というのがやってきました。