松永敦ストーリー

NHKのアナウンサーの標準語が衝撃だった子供のころ

私が声に興味を持ちはじめたのは小学生のころでした。

私は昭和35年、大阪生まれの人間です。
その当時、テレビはまだ白黒で、小学生だった私はその白黒テレビで『魔法使いサリー』や『シャボン玉ホリデー』や『てなもんや三度笠』などという番組を好んで見ていました。それらの番組は標準語だったり大阪弁だったりしましたが、番組の内容に夢中だった私はとくにその違いを意識することなく見ていました。
ところが、ある日のニュースは違ったのです。

たまたまチャンネルを回していてNHKのニュースの音声が耳に飛び込んできたとき、「あれ? いつも聞いてるのとは違う言葉で喋ってはる。なんやろう?」と思いました。
よく気をつけて聞いていると、いつも私たちが使っている大阪弁とは違う言葉でニュースを読んでいます。大阪で生まれてそれまでどっぷり大阪弁の世界に浸かって生きていた子どもですから、不思議な違和感を覚えずにはいられませんでした。
でもそのときはっきり、大阪弁と標準語は違う、と認識したのです。
それからは標準語を話すのが面白くなりました。

テレビのアナウンサーの話し方や、標準語のイントネーションを真似て話すことが、子どもだった私のささやかな遊びのひとつとなりました。
このころから声や言葉というものが、単にコミュニケーションの道具として存在するのではなく、どうやら人のこころやニュアンス、感情、精神といったものまであらわしているものだということを、私は徐々に肌で感じとりはじめていたのでした。

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